2010年5月14日金曜日

新世界刺しゅう工場のハンカチ

ここ何度か、買い付けの度に寄る刺しゅう製品のお店があります。
アルバート通りの老舗のお店で、店員さんもとても親切で
ソ連時代風な雰囲気が落ち着きます。
今回興味をそそられたのはお花のワンポイント刺繍が素敵なハンカチ。
さっそくこの製造工場のことを調べてみました。


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「新世界刺しゅう工場」ヤロスラブリ
1872年、モスクワで開かれた工業技術博覧会に
刺しゅう製品が出品されたことによりようやくロシアでも
工芸の一分野として刺しゅうが確立し、発展を始める。
ヤロスラブリのペレスラブリ・ザレスキー郡では昔から
手刺しゅう製品が有名で、農民の中には年貢として
刺しゅうを施したクロスや縁飾りを納める者たちもいた。
腕の良い者は地主が所有する作業場で製品を作るようになる。
農奴制改正後、地主所有の作業場が廃止されるとともに、
ペレスラブリ・ザレスキーには機械刺しゅう工場が現れ始めた。
1884年にはドイツ人、ザスが工場を開き、
1896年にはバチスト地やサテン地への刺しゅうを得意とする
エリセーエフ工場が操業開始。
1902年にはジトニコフ工場が開業した。
1915年十月革命の少し前、ペレスラブリ郡所有の染物工場を
アンドレイ・ゴリンベルグが購入し、未ざらし生地で作る
刺しゅう製品や雑貨を製作する大きな工場に改装。
1916年には漂白、乾燥などの機械設備と
輸送管理、倉庫を備えた工場が完成。この工場の操業年、
1917年が後の「新世界刺しゅう工場」の創立年となる。
ジトニコフ、エリセーエフ、ザスの工場も吸収し
「赤い刺しゅう工場」という名前になっていたこの工場は、
1929年にペレスラブリ郡の管理となり、
「新世界刺しゅう工場」の名称が与えられた。
第二次世界大戦中は兵士の下着やシーツ、パラシュート用の紐や
靴紐を生産し、戦後大きく発展。
現在でも品質に定評があり、2004年にはロシアの航空会社
アエロフロートの制服に採用されている。
(「新世界刺しゅう工場」ホームページより)