2017年5月23日火曜日

ロシア買い付けの旅☆トヴェリのおもちゃ工場

トヴェリ行きを決めたのはまずはこのおもちゃ工場に
行ってみたかったから。
ロシア民芸品を扱うようになって色々と書籍をあたり
ソ連時代のおもちゃとして目にしてきた
木を削った型に焼きを入れて模様付けしたおもちゃたち。
ふとしたきっかけでこのタイプのおもちゃが
今も作られていると知って
ぜひ製作しているところを見学したいな、と思ったのです。

「トヴェリのおもちゃ工場」はトヴェリ中心地から
少し外れた住宅街にありました。
昔ながらの旋盤機械を使って熟練工が器用にパーツを
くり抜いていきます。

この工場では菩提樹、白樺のほかに
ハンノキ、ヤマナラシの木を使用しています。
形やデザイン、用途によって材料を使い分けるのだとか。

ウッドバーニングのはんだごては年季が入っています!

上の写真はちょうど左下のフクロウのマトリョーシカの
木の幹部分を描いていたところ。

私はあまり聞いたことがありませんでしたが
トヴェリもマトリョーシカの産地の一つとして
数えられているそう。
特徴は上の写真のような黒と赤を基調とした衣装と、
金の髪飾りや耳飾りなどの豪華な装飾品。
さらにお腹にトヴェリの風景が描かれているタイプが
最近の人気だそう。

ひっそりと、そしてとても和気あいあいとした雰囲気。
案内してくれたマネージャーさんによれば
この工房でも高齢化が進み、
国はもちろん州や市からの援助もなく
存続に苦労されているとのこと。
ソ連時代の工場の多くはすでに存在していないことを考えると
このおもちゃ工場が営業を続けているのは奇跡のようにも
思えてきます。

工房の中には小さいミュージアムがあります。
ここに保存されている作品は基本的にどれも再現ができる
いわば工房のカタログのようなもの。

「トヴェリのおもちゃ工場」は時代時代で名称は変わりましたが
1931年創業の長い歴史を持つ企業です。
もっとも特徴的なのが製品の多種多様性と
見る人たちに感動を与える素朴ながら緻密なデザイン。



このサンプルたちのデザインのほとんどを手掛けたのは
ある一人のアーティストなんです。
ユーリー・フォーキンは1935年に労働者の家に生まれ、
前大戦の真っ最中に子供時代を過ごしました。
ユーリー少年の父も前線で従軍していました。
戦時中、前線に父親を送っていた家庭の子供たちには
お祝いの日に軍事委員会からプレゼントが手渡されていました。
「これは前線のお父さんからだよ」と。
8歳の時、ユーリー少年はフェルト長靴をもらいました。
ある日、いつものように父の顔を一目見たいと
軍用列車が通過するのを見るため雪だまりに上りました。
すると雪だまりが崩れ、線路の方へ投げ出されてしまいました。
その時、ぶかぶかの長靴が脱げ、レールの間に落ちました。
「お父さんからのプレゼントなのに!」と
手を伸ばした瞬間、両手が列車に弾かれ
一生両手のない生活となってしまいました。

小学校を卒業して、教育学校を受験する際
歯でペンをくわえ、課題の詩を書きました。
実際その筆跡は驚くほどきれいだったのですが
好奇や憐みの目に耐えきれず、教師の道を断念します。
その後、「芸術作品組合」での絵付けの仕事につき
熟練の職人たちから木のおもちゃ作りの初歩を学びました。
歯で絵筆をくわえての作業ですが
すぐに才能を開花させていきます。
たゆみない努力と数々の作品、デザイン製作の功績により
1966年には労働赤旗勲章、1974年にはレーニン勲章を授与され
生涯のうちに1200以上のデザインを手がけ
現在の「トヴェリのおもちゃ工場」の財産となっています。
上の写真はユーリー・フォーキン直筆のデザイン画。
とても歯で絵筆をかんでの作品とは思えない綿密さ!

ユーリー・フォーキン氏の才能は画力はもちろん、
そのバラエティー豊かな想像力!
とぼけた顔や、一瞬のゆがんだ表情、素朴な微笑みや
なんとも小憎らしい顔など。
なんだか、人間の無限の可能性を感じて感動しました。