2016年6月26日日曜日

ロシア買い付けの旅☆~フェドスキノ村へ

あ~、やっとロストフ旅行記が書き終わった!

ということでモスクワ郊外のフェドスキノ村へ
工場見学に行ったことをご紹介したいと思います。
フェドスキノはロシアを代表する工芸品の中でも
ミニアチュール(細密画)のもっとも古い生産地です。
ちょっと長いですが自分自身の忘備録として・・・

1795年、モスクワの商人ピョートル・コロボフは
上流階級で流行していた煙草入れなどの
装飾品を製作するためモスクワからもほど近い
この地に工房を構えました。
コロボフ工房の製品は評判を呼び
より品質の良いものを供給する要望に応えるため
ラッカー製品で当時ヨーロッパで国際的な名声を得ていた
ドイツ、ブラウンシュバイクにある
ヨハン・シュトーブヴァッサー工房の製品を取り寄せ
職人たちと研究を重ね品質向上に努めます。
娘婿のピョートル・ルクチンが工房を引き継ぐと
モスクワから腕利きの職人たちを呼び寄せ
風景、民族的モチーフ、美人画や家族ポートレートなどを
描いた装飾品が大人気となりました。
その名声はロシア皇帝にまで伝わり皇室の紋章である
双頭の鷲のエンブレムを印すことが許されます。
ルクチン工房の製品は皇室御用達の称号を受け
外国の要人への贈り物として重用されました。
ルクチン工房は孫の代まで繁栄しましたが
1904年に閉鎖を余儀なくされます。
1910年に農民となっていた10人の元工房職人によって
細密画工芸製作組合を立ち上げ再び製作に取り掛かります。
1931年には芸術専門学校を創設し技術と伝統を
現代に守り継いでいます。

フェドスキノへは地下鉄灰色線の最北駅
アルトゥフィエヴォから乗り合いバスに乗って行きます。
15席ほどのバスは満員で立ち客もいたので
20人ほどの乗客だったでしょうか?
このバスの終着駅アクサーコヴォは
大きなサナトリウムがある休養村なので
大きな荷物を持った年配のご夫婦や
子供連れなども乗ってにぎやかでした。

ワゴンタイプの乗り合いバスに乗って45分ほど。
フェドスキノ村に着きました。
バス停広場の正面にはこの村の中心、教会があります。

ウチャ川を越える橋を渡るとフェドスキノ村です。
橋の向こうには大きなフェドスキノ工房の建物が見えます。

村のシンボル、ウチャ川。

こちらが200年以上の歴史を誇るフェドスキノ工場の工房と売店、
そしてミュージアムと芸術専門学校も付属しています。

こちらは小箱の土台となるパピエ・マシェという
紙を固めて加工された素材。
ソ連時代に作られたというこの良質な素材のおかげで
工場は成り立っているようです。

専用枠を使って箱の型を作っていきます。

亜麻仁油に浸けてオーブンで乾燥させ、という手順を繰り返し
軽くて丈夫な小箱を作っていきます。


箱の型を作る作業場の隣の部屋には
箱のフタと土台を加工する職人さんたちが働いています。
最初は粗目のやすりで、徐々に細かいやすりで
つるつるの状態にまで磨き上げていきます。

下地に黒色の絵付けをして適当な箇所に
貝殻を加工した螺鈿飾りを埋め込みます。

色を重ねていく過程で何度もニスをかけ、何度も磨き上げ、
奥行きのある輝きを表現します。
最低でも10層以上の手間がかかっているので
ラッカーミニアチュール(ニス塗りの細密画)と言うのだそうです。

工房で働く職人さんたちは
基本的に工房付属の芸術学校を卒業していて
螺鈿細工や油彩などの一通りの技術を習得しているそう。



工房付属のミュージアムスペース。
ロシアには細密画工芸で有名な4つの町があります。
他の3か所は元々聖像画製作で栄えた町で
ソ連時代に職を失った職人たちがその技術を生かして
テンペラ絵具を使用し精巧なミニアチュールを作り上げます。
一方、フェドスキノの細密画には油彩が使われます。
皇室にも認められた程の腕をもつ職人たちは
肖像絵画が隆盛したオランダの作品を師として
レンブラントやフェルメールを手本に腕を磨きました。
自身も職人である工房のガイドさんは
「他の3つのラッカーミニアチュール製作地との決定的な違いは
あちらは生活の中で描かれたイコンが元になっているけど
私たちは美術館に収蔵されている作品が師なの。
なのでフェドスキノは民芸品ではなく美術品なのよ
とおっしゃってました。
職人たちのプライドが詰まったお言葉でした・・・


そんなわけで工房の売店でステキな作品を仕入れてきました。
フェドスキノ村の心ともいえる風景です。

丁寧に磨き上げられてまるでガラスのような透明感です。

ロシア民話「雪娘」は少女のはかなげな美しさにほれぼれ。

こちらはお土産用に売られているプリント物のマグネット。

ブローチのような小品も繊細で一味違います。