ウラジーミル・ヴィソツキーについての作品を準備中です。
上映会の時に何か関連商品を販売したいな、と思い
タガンカ劇場とヴィソツキー博物館に行ってきました。
自分の備忘録にタガンカ劇場についてふれておきます。
長いですよ~。
1911年、流行のネオクラシック様式建築を用い、
当時最先端の無声映画上映館としてオープン。
ロシア革命や世界規模の戦争の中、経営は立ち行かず
1922年にバフタンゴフ劇場のスタジオとして経営移譲、
マールイ劇場の支部として利用されていました。
1930年代は当地を管轄する革命軍書記の名を取って
サフォノフ劇場として活動を続け、
1946年、モスクワの演劇スタジオ出身者や
地方劇団の役者をそろえてドラマ劇場として再編。
60年代、首都で最も動員の少ない劇場の一つの汚名から
64年にアレクサンドル・プロトニコフが主席演出家を解任、
当時バフタンゴフ劇場で役者として名をはせていた
ユーリ・リュビーモフが任命されます。
リュビーモフは「タガンカ劇場」と名称を改め、
バフタンゴフ劇場付属シューキン演劇学校の教え子を率い
卒業公演作品であるブレヒトの「セチュアンの善人」を上演。
新しい、現代的な劇場をオープンさせ人気を博します。
常に実験的で反体制的な作品作りを試みるリュビーモフは
当局からいつもにらまれ、1984年、ロンドン滞在中に
ソ連市民権をはく奪され亡命を余儀なくされます。
リュービーモフ不在の劇団はエフロス、グベンコ演出のもと
活動を続けます。
体制を見直すペレストロイカ政策が進む中、
1989年にリュビーモフの市民権が復権されると
タガンカ劇場美術監督として任命されます。
舞台監督としてタガンカ劇場を守ってきたグベンコは
一部の俳優と共に新しく隣に建てられてた劇場を拠点に
「タガンカ俳優協同組合」を組織し分裂。
リュビーモフを慕う残りの一座は「タガンカ劇場」として
ロシアで人気の劇場の一つとなりました。
2011年に俳優たちとのトラブルからリュビーモフが退陣。
その後、ワレリー・ゾロトゥヒンは健康上の理由で退職、
ウラジーミル・フレイシェルは一年契約で劇場を去ると、
2015年からは、女優であり歌手、テレビタレント、
そして様々な演劇プロデュースを手掛けてきた
イリーナ・アレクシモワを演出家に迎え、
長い歴史を持つ劇場に新たな魅力をくわえている。
(「タガンカ劇場」公式サイトより)
地下鉄タガンスカヤ駅から徒歩5分ほど。
ヴィソツキーの死後20年を記念して
2000年にかつての住まいが博物館としてオープン。
内部は撮影禁止と言うことで写真は外観だけです。
売店にカレンダーとかミニ本とか売ってたのですが
「今日は売り子がもう帰った」
ということで今回は収穫無しです。。。
その上どうも本人の書斎も見学できてなかったみたい。
春の買い付けの際に再度チャレンジしてみます。
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で、本題はこちら。
ヴィソツキーが何度も舞台を踏んだ
「タガンカ劇場」でお芝居を観てきました!
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また~?と言われそうですが(笑)
ブルガーコフ原作の「巨匠とマルガリータ」を。
日本で二度観て、ロシアでも一度観てますが、
どちらも演出はワレリー・ベリャコーヴィチ。
タガンカ版は初めての鑑賞です。
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エントランスはコンクリ打ちっぱなしで
倉庫のような雰囲気でかっこい~♪
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長い歴史の中で多くの有名俳優を輩出してきました。
老いも若きも、みなさん写真撮りまくり!
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1980年、タガンカ劇場で行われた
ヴィソツキーのお別れ会には劇場前の広場はもちろん
道路を埋め尽くすほどのファンであふれたそう。
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おトイレの案内もおしゃれ~☆ 年頃の娘さんとお母さん、という組み合わせや 学生さんのグループ、お一人さまのOLさんとか、 様々な年代のお客さんでごった返すロビーは 不思議と居心地が良いんです。 |
「ロシアで観劇」のお楽しみ☆
今回はちょっと洒落込んで奮発しました。
ロシア・シャンパンにサーモンのオープンサンド。
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翌日乗った地下鉄の広告がおもしろかったです!
「巨匠~」の一節でマルガリータが悪魔の夜会に呼ばれ
部屋で支度をする場面。
それをイケアの家具で再現しているのです。
それだけロシアの人たちに浸透している作品なんですね。
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