2011年6月5日日曜日

ロシアのCD ロック!6(続)

昨日は「ロシアの蚤の市」の仕入れのため
5時にお店を閉めたので時間が足りなくなってしまいました。
ではでは、私のおすすめグループ二組を紹介します!

БИ-2
1985年ベラルーシ、ミンスクの子ども劇場で
グループの中心メンバーとなる、シューラとリョーワが出会う。
1991年にシューラが、一年後にリョーワがイスラエルに
移住するまでに最大15人のアーティスト集団として
ベラルーシ中を公演して回った。
93年にシューラがオーストラリアへ移住。
二人は電話や電子通信を使って創作を続ける。
98年、リョーワがオーストラリアを訪れたさいに再結成し、
99年にはロシアのロックフェスティバルに参加するために
二人でロシアに移住する。
2000年、映画「ロシアン・ブラザー2」のサントラに起用され
一躍注目を浴びる。
ロシアの新旧アーティストとのコラボを積極的に行い
プロデュース面での才能も評価が高い。
Би-2 - Полковнику никто не пишет (youtube.より)
映画「ロシアン・ブラザー2」起用曲。
今は亡きセルゲイ・ボドロフ・JrがかっこいいPVです!
Би-2 и Чичерина - Мой Рок-Н-Ролл (youtube.より)
2001年発売アルバムより、ЧичеринаとのデュエットPV。

Мумий тролль
1981年ごろからbonniePの名でウラジオストクで活動していた
リーダー、ヴォーカル、作詞のイリヤ・リャグチェンコが
82年に後のプロディーサーレオニード・ブルラコフと出会い
Мумий тролльと名前を変更。
85年にデビューアルバム(カセット版)が完成すると
その中の一曲がソ連政府批判とも取れる替え歌となり
またたく間にウラジオストク中のディスコで大ヒット、
当局の検閲に掛かり当時もっとも危険なグループとの
レッテルを貼られた。
イリヤは1987年より2年間ソ連軍に従事、91年からは
中国、イギリスで商取引アドバイザーとして働くが
96年音楽の世界にカムバックする。
ムーミ・トローリの音楽、つまり当時のロシアの音楽業界では
空白となっていたポップ・ロックのジャンルは
大手レーベルからは冷たい目を向けられた。
ところが、多くの音楽雑誌やファンがいち早く魅力にはまり、
注目を浴び始めると無事スタジオ録音第一弾アルバムを発表、
同年セカンドアルバムも発表し、以降現在に至り不動の人気を得る。
イリヤの独特な歌声は好みの分かれるところだが
一度はまるとくせになる魅力がある。
Мумий Тролль - Дельфины (youtube.より)
1998年シングルカット曲のPV。
Мумий Тролльオフィシャルサイト(英語)
はまっちゃった人はこちらをどうぞ~!