2013年12月21日土曜日

買付け⑤リャザンへ4

二日目はナタリアさんが娘婿のリョーシャさんにお願いしてくれて
ロシアで最も愛されている詩人の一人セルゲイ・エセーニンのふるさと
コンスタンチノヴォに連れて行ってもらいました。
リャザンの町中から車で40分ほど。
前日、ナタリアさんが
「もしよかったら近いからコンスタンチノヴォに行ってみる?」
と提案してくれて
ペテルブルグでエセーニンが自殺したホテルを見ていた私は
「じゃあ、彼の人生の最初と最後を知ることができるね!
ぜひぜひ行ってみたい!」とお願いしたのでした。
ナタリアさんはエセーニンの最後についてはよく分からないから
リョーシャに聞いてみて、と。
コンスタンチノヴォに行く道中、博識なリョーシャさんが
いろいろなお話を聞かせてくれました。
エセーニンはペテルブルグのアングレテル・ホテルで
自殺したというのが一般的ですが
実は彼の詩の影響力を危惧した当時のソ連政府に
消されたとほとんどの人は考えているのだとか。。。

エセーニンが生まれたころのまま村が保存されていて
彼が通った学校や教会も見学することができます。

中庭にはニワトリが放し飼いになっていて
なんとものどかな風景です。

ナタリアさんのお顔をまだお見せしていませんでしたね!
普段は航空機の部分デザインなどをしていて
時間を見つけてはマトリョーシカを描いたり
編み物や縫い物をしてすごしていらっしゃいます。

エセーニンの生家。
お父さんはモスクワへ仕事に行っていたので
お母さんと小さい妹たちで過ごすことが多かったそうです。

生家の前に立つ像。
ちょうど若いご夫婦と小さな女の子がお花をささげていました。

エセーニンが使っていたベッド。
ロシアでパッチワークのイメージはあまりないかもしれませんが
一枚の大きな布を買えるのはわずかなお金持ちだけだったので
ほとんどの家では端切れを利用してベッドカバーや
ソファーカバーなどを作っていたそうです。

エセーニンは子どもの頃からとっても成績がよく
ニコライ二世の名で賞状をいただいたこともあるのだとか。
エセーニンと言えば世界的ダンサー、ダンカンとの結婚、
生涯に五度の結婚など、女性に甘えんぼさんな
イメージを持っていたのですが
少年の頃は父親が留守がちな家を守るしっかり者の
男の子だったようです。

こちらはお母さんのベッド。
煮たきをするペチカという大きな暖炉を挟んで
隣の部屋が台所になっています。
小さな妹たちはお母さんの目の届く暖かいペチカの上で
寝ていたそうです。

すてきな台所!

1924年にエセーニン自身が植えたトーポリの木。

こーんなに大きく育っています。
本格的な冬が来る前に
沢山の職員の人たちがお庭の整備をしていました。

コンスタンチノヴォはオカ川沿岸にあります。
リョーシャさんがこの風景のすばらしさを教えてくれたおかげで
エセーニンが生涯ふるさとに思いをはせた気持ちが
少しだけ理解できた気がしました。
しかし、ロシアの大自然を写真に収めることは難しいですね…

川岸に下りて振り返ると小高い丘には村のシンボルの教会が。
ロシアの田舎の風景はこんな曇り空こそ絵になります。

コンスタンチノヴォ周辺は国の保護地になっています。
平原の中に群生する白樺の木ぎ。
これこそ”ロシアの風景”なんですって。