ロシアで最も愛されている詩人の一人セルゲイ・エセーニンのふるさと
コンスタンチノヴォに連れて行ってもらいました。
リャザンの町中から車で40分ほど。
前日、ナタリアさんが
「もしよかったら近いからコンスタンチノヴォに行ってみる?」
と提案してくれて
ペテルブルグでエセーニンが自殺したホテルを見ていた私は
「じゃあ、彼の人生の最初と最後を知ることができるね!
ぜひぜひ行ってみたい!」とお願いしたのでした。
ナタリアさんはエセーニンの最後についてはよく分からないから
リョーシャに聞いてみて、と。
コンスタンチノヴォに行く道中、博識なリョーシャさんが
いろいろなお話を聞かせてくれました。
エセーニンはペテルブルグのアングレテル・ホテルで
自殺したというのが一般的ですが
実は彼の詩の影響力を危惧した当時のソ連政府に
消されたとほとんどの人は考えているのだとか。。。
エセーニンが生まれたころのまま村が保存されていて
彼が通った学校や教会も見学することができます。
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中庭にはニワトリが放し飼いになっていて
なんとものどかな風景です。
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ナタリアさんのお顔をまだお見せしていませんでしたね!
普段は航空機の部分デザインなどをしていて
時間を見つけてはマトリョーシカを描いたり
編み物や縫い物をしてすごしていらっしゃいます。
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エセーニンの生家。
お父さんはモスクワへ仕事に行っていたので
お母さんと小さい妹たちで過ごすことが多かったそうです。
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生家の前に立つ像。
ちょうど若いご夫婦と小さな女の子がお花をささげていました。
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エセーニンが使っていたベッド。 ロシアでパッチワークのイメージはあまりないかもしれませんが 一枚の大きな布を買えるのはわずかなお金持ちだけだったので ほとんどの家では端切れを利用してベッドカバーや ソファーカバーなどを作っていたそうです。 |
エセーニンは子どもの頃からとっても成績がよく
ニコライ二世の名で賞状をいただいたこともあるのだとか。
エセーニンと言えば世界的ダンサー、ダンカンとの結婚、
生涯に五度の結婚など、女性に甘えんぼさんな
イメージを持っていたのですが
少年の頃は父親が留守がちな家を守るしっかり者の
男の子だったようです。
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こちらはお母さんのベッド。
煮たきをするペチカという大きな暖炉を挟んで
隣の部屋が台所になっています。
小さな妹たちはお母さんの目の届く暖かいペチカの上で
寝ていたそうです。
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すてきな台所! |
1924年にエセーニン自身が植えたトーポリの木。 |
こーんなに大きく育っています。
本格的な冬が来る前に
沢山の職員の人たちがお庭の整備をしていました。
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コンスタンチノヴォはオカ川沿岸にあります。
リョーシャさんがこの風景のすばらしさを教えてくれたおかげで
エセーニンが生涯ふるさとに思いをはせた気持ちが
少しだけ理解できた気がしました。
しかし、ロシアの大自然を写真に収めることは難しいですね…
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川岸に下りて振り返ると小高い丘には村のシンボルの教会が。
ロシアの田舎の風景はこんな曇り空こそ絵になります。
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コンスタンチノヴォ周辺は国の保護地になっています。
平原の中に群生する白樺の木ぎ。
これこそ”ロシアの風景”なんですって。
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