アレクサンドロフにはまだまだ見どころがありますよ!
ラリサさんがお勧めしてくれたのは
ロシアの詩人、マリーナ・ツベタエワゆかりの博物館。
1892年モスクワ生まれ。
1941年に自ら命を絶つという選択をすることになるまで
波乱に満ちた人生を送りました。
妹のアナスタシアが
1915年二度目の結婚のためアレクサンドロフに移住。
1916年夏にマリーナもこの地に移り住み
革命後の1917年にアナスタシアがクリミアに引っ越すまで
二人にとって短くも幸福な時を家族と共に過ごしました。
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1991年開業の 
マリーナとアナスタシア・ツベタエワ姉妹文学博物館。 
この博物館は「メタファー的」と言われる通り 
家族が実際に使った家具や生活道具は残されていません。 
時代に翻弄された二人と家族の 
穏やかで幸せな”ひと時”が感じられる空間を 
共有するための博物館です。 | 
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大きな住宅の前にひっそりとたたずむ 
木造家屋がツベターエワ姉妹博物館です。 
そして、左手前に見える2階建てのコンクリート住宅も 
実は別館として運営されています。 
「101キロメートル博物館」というちょっと変わった展示館。 
ソ連時代に多くの知識人、音楽家、医師、文学者などが 
何の罪もなく突然強制収容所へ収監されました。 
一部の人は嫌疑が晴れ収容所から出た後も 
”都市から100km以内に住んではいけない”という 
制約を受けたそうで 
アレクサンドロフはモスクワから111km離れていますが 
100km以上離れていて一番近い大きな町であるここに 
多くの知識人が移り住んだのだそうです。 | 
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閉館時間ギリギリ、 
というか最終的には残業させてしまって超急ぎ足の解説付き。 
2台あるピアノの1台はツベタエワ姉妹のものだと言って 
ちょこっとガイドさんが弾いてくれました。 | 
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ガンの治療に役立つと日本でも有名な 
チャーガ(白樺に自生するキノコ)。 
その効用を発見したセルゲイ・マスレンニコフ博士は 
アレクサンドロフの出身。 
この町にガン患者が少ないことに注目し、 
お茶代わりに地元の人たちが煎じて飲んでいた 
チャーガの存在に興味を持ち始めます。 
説明が早くてまったく分からなかったのですが 
マスレンニコフ博士も居住「101km」制限を受け 
不自由な生活を余儀なくされた一人なのだとか。 | 
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なんだか本当にまったく分からなかったのですが(笑) 
とにかく日本人と言うことで特別に閉館時間を過ぎても 
熱心に解説してくれました。 
チャーガ研究にも日本人が大きな功績を残したのだとか。 
「チャーガが世界で認められたのも 
日本人のおかげなのよ!」と。 
偉大な先人、ありがとうございます! | 
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この「101キロメートル博物館」は小さいながらも 
音楽ホールになっていて 
ロシア中のみならず世界的なアーティストを 
お招きすることも多々あるそうです。 
なんと日本のジャズオーケストラ「渋さ知らズ」の 
不破大輔さん率いるバンドが2012年に演奏したとのこと。 
ポスターがあるから本当だよね(笑)? 
まーそんなこんなで日本人というおかげで 
とても良い印象で見学させていただくことができました! | 
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ツベタエワ姉妹博物館はちょっと高台にあり 
二人が住んでいたころは周りに何もなくて 
向こうに見える教会の屋根が 
厳かに輝いているのが望めたのだそう。 
そのことを唄った詩の一節があって 
ガイドさんが語りだすと 
ラリサさんも重ねて二人で暗唱し出しました。 
ああ、ロシア人ってステキだな~、と 
うっとり聞き入ってしまいました♪ |